1989年暮れ〜1990年
■長く続いた新日・全日の2極体勢の中で、草プロレスとも言うべきものが初めて誕生したのは、84年の
UWF旗揚げからだろうか。プロレスと言えば、新日・全日のどちらか。片方を離れた選手はもう一方へ流
れるしかないと思われていた時代の中で、新たなリングを作ってしまったことの意味は大きかった。そのU
WFも翌年には崩壊。86年にはジャパン女子プロレスが旗揚げしたが、男子と女子が別物として認識され
ていた時代のことであり、大方のプロレスファンの視界には入ってこなかった。しかし、このジャパン女子
を現在のインディペンデントの始まりと考えることもできる。88年頃のジャパン女子には、大仁
田厚、グラン浜田、浅子文晴(サンボ浅子)、新間寿といった後のインディペ
ンデント界の重要な立て役者達がスタッフとして在籍しており、また、88年12月3日、ジャパン女子のメインで行われた大仁田厚VS
グラン浜田がインディペンデントプロレス初の試合とも位置づけられるものであるからだ。この試合は10
月28日のメインイベント、デビル雅美、村光代VS神取しのぶ、ソチ浜田でデビルに反則負けを宣言した
浜田にセコンドの大仁田が食ってかかったことによって実現したものであり、86年に全日を引退していた
大仁田の復帰戦となったものだが、会場は女子プロレスのメインイベントを乗っ取った男子の試合に反発す
るファンの怒号で埋め尽くされた(試合は11分51秒浜田がエビ固めで大仁田に勝利)。ジャパン女子の
選手の反発も手伝って、居場所のなくなった大仁田、浜田、新間らは新団体の結成を画策し始める。 ■12月22日には大仁田は新生UWFの会場に現れ、新団体の代表としてUWFに挑戦を迫るが、神UW F社長に「大仁田さん、チケット持ってますか?」の名言によって門前払いを食らう。年が明けると、日本 に初のインディペンデントが登場。剛竜馬が旗揚げしたパイオニア戦志である。4月30日後楽園ホールの 旗揚げ戦のメインイベントで大仁田は剛竜馬と対戦。膝を狙われて、レフェリーストップに敗れる。大仁田 は今度は6月8日格闘技の祭典のリングに登場。空手家の青柳政司と異種格闘技戦を行う。試合は凄惨なケ ンカマッチとなり、プロレス側と空手側の大乱闘の中で、大仁田の反則負けが先制された。大仁田のセコン ドにはモンキーマジック・ワキタ(スペル・デルフィン)、秋吉昭二(邪道)、高山圭司(外道)のTPG( たけしプロレス軍団)の3人と、イギリスから帰国した尾内淳(ウルトラマン・ロ ビン)がついた。一方の青柳側には松永光弘、佐竹雅昭ら。現在K1で誰もが知る佐竹がウルトラマン・ロ ビンをKOするという夢の対決も、実はここで実現していたのだ。 ■8月4日、FMWの旗揚げ記者会見が都内のホテルで行われた。社長に知人の大迫義昭 氏を立て、新間寿と大塚氏(かつて、長州らを新日 から引き抜いたジャパンプロレスの中心人物)も同席。ところが、ここに青柳が乱入し、暴行を受けた大仁 田は吐血。楽しいプロレスを目指していた新間と浜田は血の海でのたうち回る大仁田に不信感を抱く結果と なった。結局、大仁田と新間&浜田は分裂しての団体旗揚げを目指す。新間と別れたことで、FMWは旗揚 げ戦のポスターに写真も入っていた浅井嘉浩(ウルティモ・ドラゴン)の初来日を果たせなかったわけだが、 後の展開を考えると、スター性抜群の浅井は大仁田にとってはむしろ邪魔な存在となった可能性もある。大 仁田は9月15日に新人オーディションを行い、市原昭仁、土屋恵理子、前泊美佳、里美和らを入団させて、自前の選手の育成を目指す。全日を引退していた栗栖正伸のFMW での復帰も決定し、海外遠征に出たままになっていた全日のターザン後藤も帰国。柔道三段の猛者、徳田光 輝の入団も決まり、FMWの陣容は固まりつつあった。
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■11月は大仁田、後藤、ウルトラセブン(高杉正彦)、ワキタ、秋吉らで韓国に遠征、12月がFMWの初めてのシリ
ーズ開催となる。なんとこのシリーズには、超大物ディック・マードックが来日。サンボ
の強豪という触れ込みの浅子文晴も入団。第1
戦の大阪・臨海スポーツセンターでは大仁田が松永をサンダーファイヤーで敗る。これがいよいよ誠心会館
との抗争に火をつけるかたちになり、最終戦の12月10日後楽園ホールは異様な雰囲気に包まれた。チェ
ーン・デスマッチでマードックがジョー・ルダックを敗った後、リングに有刺鉄線が張られる。日本初の
異種格闘技・有刺鉄線デスマッチ。その後に全盛になったノーロープ有刺鉄線デスマッチ
とは当初は形式が異なり、ロープを張ったまま、鉄柱の外側から有刺鉄線を巻くという方法であ
った。当初この試合には青柳の出場が予定されていたが、負傷のため、友人の空手家という触れ込みで、
ジェリー・ブレネマン(後に藤原組、WCWで活躍したジェリー・フリン)が来日。松永とタッグを組んで、
大仁田、後藤との対戦となった。大仁田、後藤ともに蹴りまくられ、流血の苦しい試合展開の中、頭突きで
応戦したプロレスコンビは大仁田がラリアットからサンダーファイヤーでブレネマンをフォール。試合後は
栗栖と青柳も乱入し、大乱闘を展開した。新日、全日の規格化したプロレスに嫌気が差していたファン層が
一気にFMWに飛びつき、FMWはこと後楽園での興行に関しては、旗揚げ時から満員記録を塗り替え続け
ることになる。![]() ■年が明けての1月7日、FMWはワンナイト興行「総合格闘技オープントーナメント」を開催。プロレス、 空手、柔道、キックボクシング、テッコンドー、サンボ、シューティングを一気に集めて、最強を競うとい うこの企画は、参加選手こそ一流とは言い難かったが、観客もそんなことは元より承知のうち。取り合わせ の面白さで勝負した興行だった。結果的に、この大会は大仁田がビースト・ザ・バーバリアンからWWAブ ラスナックルのベルトを奪取し、リー・ガク・スー、上田勝次、ザ・シューターなどの新たなスターを生み出した重要な大会 だったが、当日は低調な試合の連続とメインでの栗栖の暴走もあって、観客が暴動寸前になり、優勝を栗栖 にさらわれた大仁田は「FMWの明日がわからなくなった」と呻いた。2月12日の後楽園ホールで は栗栖との決着をつけるべく、有刺鉄線バリケードマット・マッチを実現。両者、有刺鉄線で傷だらけに なりながら、大仁田が2発のサンダーファイヤーで栗栖を敗り、両者は和解した。また、前回の後楽園で遺 恨が生まれていた浅子文晴とリー・ガク・スーが再度対戦。前回反則負けとなったリーがKOで雪辱を果た した。また、今や米メジャーのトップスターのコナンがFMWに来日したのもこの時である。 ■3月に2度目のシリーズを開催。3月10日開幕戦の後楽園では里美和VS松田久美子の試合に、 元全日本女子の天田麗文、 工藤めぐみ、豊田記代(コンバット豊田)が乱入。天田は「あいつら のやってるのはプロレスじゃない。踊りだ!」という名言を発し、以降、3人はアウトブレーカーズとしてFMWに参戦することとな る。セミファイナルで大仁田、浅子組がリー・ガク・スー、キム・ヒュン・ハン組を敗った後のメインイベ ントで行われた総合格闘技バトルロイヤルでは、リー・ガク・スーがザ・シューターをKOして優勝。一方、 大仁田はバトルロイヤルの最中に栗栖との遺恨が再燃してしまう。しかし、このシリーズ、もっとも猛威を 振るったのはドラゴン・マスター(ケンドー・ナガサキ)だった。シリーズ途中で来日し たドラゴンは、大仁田を目の敵にする栗栖と合体、3月29日の愛知犬山市体育館大会では、大仁田、徳田 組と対戦し、徳田を血祭りに上げる。4月1日の後楽園ホール(最終戦)では、FMW女子の里美和、 森松由紀が髪切りマッチで天田、工藤組に敗れ、フォールを取られた森松は髪を切られる も、ハサミを入れることを拒否した工藤と天田の間に不協和音が流れた。ジミー・バックランドが持ち込んだ AWAライトヘビー級にはテッコンドーのキム・ヒュン・ハンが挑戦も、サソリ固めで敗 れた。メインのカードは大仁田、後藤VSドラゴン・マスター、栗栖。3カウント・フォールを取られた後 に、10カウント・ダウンで勝敗が決するテキサス・ストリートファイトマッチとして行われ、会場狭しと 暴れ回る選手に観客が異常興奮、この頃から、大仁田のカリスマ性は決定的なものとなってゆく。試合は大 仁田がサンダーファイヤーで栗栖をフォール。しかし、試合後は大仁田と後藤、また栗栖とドラゴンの間に 亀裂が入り、「何のために自分は日本に帰ってきたんですか」という言葉を残して立ち去った後藤を追い求 めて大仁田は泣きわめいた。 ■4月17日に大仁田は藤波辰巳と都内のホテルで会談。藤波に「FMWの方向性には首を傾げる部分が多 い。自分が上がったら、FMWも変わらざるを得ないと思いますよ」と言わしめる。5月12日、青森県十 和田で「バトル・クラッシュ」が開幕。カナダ・カルガリーで活躍していたリッキー・フジ が来日、栗栖軍に加盟し、大仁田の首を狙う。モデル出身のマグニフィセント・ミミの来 日も話題に。19日の後楽園で、大仁田はリー・ガク・スーとシングル対決。これをサンダーファイヤー4発 で下す。 ■6月2日に後楽園で「バトル・ミッション」が開幕。栗栖が欠場し、不穏な雰囲気に会場は包まれた(そ のまま栗栖は新日へ移籍)。反大仁田の動きを強める後藤はリッキー・フジをストリートファイト担架マ ッチでKO、大仁田はリー・ガク・スーとタッグを結成して、浅子&徳田を倒す。しかし、後藤は 突然会場に現れたフリーのミスター・ポーゴとともに会場から消えた。大仁田が後藤の失 踪を客に向かって訴えている最中、バルコニーにいた1人の客が「何言ってんのか、わかんねえよ」とヤジ を飛ばしたことに激怒した大仁田はバルコニーめがけてマイクを投げつけ、さらに大仁田支持派の観客達がヤ ジを飛ばした客に物を投げたことで、会場は大混乱となる。これまでのFMWの会場でのヤジは限度を超え たものがあり、多くの選手や観客は我慢の限界に来ていたのが、一気に爆発した。泣きながら、バルコニー の観客の悪質さを多くの観客に訴える里美和。逃げた客を会場の外まで追いかけていった熱狂的ファンもい たという。これ以降、後楽園に限ってはFMWの会場の雰囲気は一変した。ちゃかしに来ていた客が一掃さ れ、大仁田支持派が会場を埋め尽くす純度の高い空間となる。これがFMWの歴史上重大な大仁田 マイク投げ事件である。 ■6日の神奈川・海老名では、ポーゴが「後藤、行け」と叫ぶと、後藤は大仁田に決別のラリアット。ここ に来て、2人は本当に仇同士となった。6月24日、「身内の喧嘩を客に見せたくない」ということで、夢 の島運動公園体育館で大仁田と後藤は 観客なし、マスコミのみ立ち会いのノーピープルマッチで激突。見られない試合を見に来た数人の客に体育 館の外での乱闘サービスの後、33分49秒両者KOに。7月16日「サマーパッション」開幕戦の後楽園 ホールでは、後藤、ポーゴ組が浅子&徳田を血祭り。大仁田は上田勝次を大苦戦の上、KOで倒す。22日、 日南市油津港では、海にリングを浮かべた洋上マッチを開催。揺れるリングの上で海に落 とし合う。当時のFMWのアナーキーさも来るところまで来たという感じか。旧来のプロレスを続ける新日 &全日が色褪せ、退屈に見えた時期である。また、このシリーズ中、期待の新鋭だった徳田光輝が退団し ていった。 ■8月4日汐留。FMW史上最大の事件と言っても過言ではないノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ 開催。午前中まで降っていた雨が奇跡的に午後には降り止み、4520人の観客の前でそれは実現 された。有刺鉄線には電流と小型爆弾。大仁田と後藤の双方が感電、被爆、流血、「わかったから、もうや めてくれ」という観客の絶叫の中で、大仁田がサンダーファイヤー3発で後藤を倒し、感動した観客は試合 が終了した1時間後も会場に居残って大仁田コールを叫んでいたという歴史的な大会となった。この試合が 元でFMWは一気にブレイク。プロレス誌でも、新日、全日と肩を並べる扱いを受けるようになる。東京ス ポーツは紙の方向性と大仁田のキャラクターが合っていたためか、これ以降しばしば大仁田を1面で扱い、 大仁田の知名度アップに貢献した。また、 この大会では工藤めぐみとコンバット豊田のストリートファイトマッチも行われ(豊田がサンダーファイヤ ーで勝利)、これ以降の2人のライバルストーリーの出発点となった。 ■大仁田と後藤が和解し、後はポーゴを倒すのみとなって、日本とプエルトリコでの大仁田VSポーゴの2 連戦が決定。8月25日後楽園では、多くの観客が人差し指を上げて大仁田を支持する中、大仁田が短時間 でポーゴをサソリ固めで敗り、タイツを脱いで観客に投げるというストリーキングまがいの行為で、場内は またも大熱狂。再戦のためにプエルトリコへ渡った大仁田だが、29日キャピタルスポーツ・プロモーショ ンの事務所内でポーゴ、グラン・メンドーサ、エル・プロフィッソ、ホセ・ゴンザレスの4人に襲撃を受け、 刃物で下腹部を刺されて意識不明のまま病院に運ばれるという惨事になる(大仁田刺傷事件)。 この事件のためにポーゴ戦は中止。病院も襲撃される危険性を感じた大仁田は傷を負ったままプエルトリコ を脱出し、日本で再入院となる。当時のプロレスファンの意識では、この事件はブロディ刺殺に関わってい たと言われるゴンザレスが大仁田襲撃のメンバーにいたこともあって、いわゆる”ガチ”と受け取られ、フ ァンの怒りがエスカレートしすぎたこともあって、結局ポーゴは週プロ誌上でファンに謝罪することになる。 しかし、ヒールとしても中途半端だったポーゴが一気に突き抜け、大悪党と変身できたのは、この仕掛けに よるものだったのは間違いないであろう。 ■FMWフロントは「ポーゴ永久追放、プエルトリコと絶縁」を発表したが、大仁田は「日本人の心を取り戻 させてやる」と叫び、ポーゴとの再戦を要請。本音としては、ホセ・ゴンザレスも呼びたかったようだが、良 識家ぶった日本のプロレスマスコミとファンの反発の前に、これは断念する。 9月20日奈良・橿原体育館では、台風の影響でリングが届か ず、全試合ノーリングマッチに。ここで大仁田はポーゴとザ・グラジエーター の合体パイルドライバーでKO負け。25日の愛知スポーツセンターではAWAライトヘビー級トーナメン トが行われて、上田勝次が優勝。8代目の王座に就いた。 ![]() ■10月26日「オーニタ・フリークinオータム」岐阜・美濃市体育館では後藤、マンタガスVSリッキー・ フジ、工藤めぐみの日本初のミックスドタッグマッチが行われ、後藤がリッキーをフェー スバスターから倒す。11月25日駒沢での創立1周年記念大会「YAMATODAMASHII」では、 ジミー・バックランドが上田を敗って、AWAライトヘビーを奪回し、工藤はストリートファイト担架デス マッチで天田をバックドロップ4連発でKO。浅子はロシアの格闘組織「DILA」から派遣された柔道ゴ ールドメダリスト、グリゴリー・ベリチェフに横三角締めで敗れ、後藤は謎の空手家ゴールド・ウィリアム スの一番弟子ソウル・キングをフェース・バスターでKOした。大仁田はポーゴを大声援の中、雪崩式フェ ースクラッシャーからの頭突き連打でKOし、日本人の心を取り戻したポーゴは大仁田の張り手に男泣き。 FMWは一周年記念の大会を大成功のうちに終わらせた。 ■天田は腰痛のために引退発表。年内最終シリーズ「HEISEI BAKUHATSU」ではベリチェフ に加え、ボリス・ゴギチャシビリも来日。12月5日北海道月寒グリーンドームでは、浅子は再びベリチェ フに敗れ、10日千葉公園体育館でも大仁田&浅子はベリチェフ&ゴギチャシビリ組に敗れた。年内最終興 行は、姫路で行われた「YAMATONADESHIKO」。これはFMW初の女子単独興行であり、鍋野 幸江、清水真弓、中村理恵、岩見敬子の2期生が一度にデビュー。天田は豊田に敗れ、工藤はデスピナに敗 れた。 ■1990年はFMWにとって、パーフェクトな年だったと言える。東京スポーツが制定するプロレス大賞 で、MVPは大仁田厚、ベストマッチは大仁田VS後藤のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチの2冠を 達成し、これに反発する新日、全日のレスラーの多くが授賞式を欠席する中で、受賞パーティーの会場はF MW勢に乗っ取られた感があった。最初の1年で、FMWはプロレス界に確固たる地位を築き上げたのであ る。 |
90年に行われたタイトルマッチ
●WWAブラスナックル
@ビースト・ザ・バーバリアン | |
1・ 7 | A大仁田厚 |
2・19 | 防衛@=ボツナワ・ビースト(現ジャイアント・キマラ) |
3・13 | 防衛A=ビースト・ザ・バーバリアン |
5・14 | 防衛B=ワイルド・ブルマン |
8・ 4 | 防衛C=ターザン後藤 |
11・ 5 | 防衛D=ミスター・ポーゴ |
●AWAライトヘビー
Eジミー・バックランド | |
3・29 | 防衛@=キム・ヒュン・ハン |
4・ 1 | Fリー・ガク・スー |
6・ 9 | 防衛@=リッキー・フジ |
7・28 | 防衛A=木村浩一郎 |
8・18 | 防衛B=リッキー・フジ |
(ベルト返上) | |
9・25 | G上田勝次 |
王座決定戦=ジミー・バックランド | |
11・ 5 | Hジミー・バックランド |
●CIWFジュニアヘビー
@リッキー・フジ | |
12・6 | 防衛@=キム・ヒュン・ハン |
ベストマッチ 大仁田厚 VS ターザン後藤(90・8・4汐留)
90年度の東スポ制定プロレス大賞を受賞したFMWの古典。日本初の電流爆破という舞台、観客の異常 興奮の中で、大仁田が後藤を3度目のサンダーファイヤーで仕留め、壊れかけた2人の絆を取り戻した感動 の試合である。ミラクルからビデオが発売されており、すでに廃盤となっているものの、「チャンピオン」 など各ビデオショップでよく見かけるので、鑑賞するのはさほど困難ではない。
MVP 大仁田厚
言うまでもない。FMWだけではなく、プロレス界全体のMVP。この数年間、プロレス界は間違いなく 大仁田のものだった。
新人賞 ザ・グラジエーター
外人選手ながら、FMWの生え抜きといって差し支えない選手だろう。今や日本マット界のトップ外人選 手グラジは90年に無名の外人選手としてFMWに初来日を果たし、当初から外人エースとして活躍。95 年にハヤブサを敗って、ブラスナックル王座を奪取、FMWのトップに就いている。ちなみに89年、90 年には他にも多くの選手がFMWでデビューしているが、やはりこのザ・グラジエーターが登場時のインパ クトと期待感で、圧倒的に他を上回っていたと言える。
89年、90年のプロレス大賞
●89年
MVP | 前田日明 |
年間最高試合賞 | ジャンボ鶴田VS天龍源一郎(6・5日本武道館) |
殊勲賞 | 橋本真也 |
敢闘賞 | 長州力 |
技能賞 | 藤原喜明 |
新人賞 | 小橋健太 |
特別賞 | 大仁田厚、武藤敬司 |
●90年
MVP | 大仁田厚 |
年間最高試合賞 | 大仁田厚VSターザン後藤(8・4汐留) |
殊勲賞 | 三沢光晴 |
敢闘賞 | 船木誠勝 |
技能賞 | 天龍源一郎 |
新人賞 | 青柳政司 |